健康住宅と言う言葉が使われだして久しい。
どんな住宅を意味するかと言えば、シックハウス症候群にならないとか、バリアフリーだとか、要は病気になり難い家であると言う事。そこに住んだ家族全員が、1年後には、今より健康になる住宅と言う意味では無いだろう。
では健康になる家とは何か?もし、それが昼夜、土日のべつ幕なしに働く猛烈サラリーマン向けだったら、一体どんな要素が、体に取っていいのだろうか?
化学薬品の使用を極力抑えた建材を使用する、これは性別や年齢に関係無く当たり前。これに加えて、家に居るだけで運動不足を解消する様な発想があってもいいのでは無いだろうか?
例えば1枚だけ物凄く重い扉、トイレや風呂場までの長い廊下、エレベーターなど無く、勾配のきつい階段(勿論、建築法の範囲内に収まり、安全である事は絶対だけれど)、背伸びしないと届かないスイッチ、段差の厳しい敷居等々、いずれも極端だが、意地悪な家=体に負荷を掛け、トレーニングが自然に出来てしまう家は、運動不足のサラリーマンにはいいはず。
以上、実際には、誠に現実的でない話。
しかし常におやっ?と思うのは健康住宅と言うお題目の下では、どんどん人間の運動機能を脆弱化させるシステムが、家の中でも進行している事だ。一方で、金を掛け、テレビを使って、わざわざ家の中で体操させるゲームが大変流行っているそうな。この矛盾は一体なんだろう?
これを言い出したら、スポーツクラブで金を払ってランニングマシンに乗る位なら、さっさと家の周りを走れと言う事にもなってしまう。
便利になるのは結構、これに全く異論無し。しかし、高齢者も、ハンディを持った方も、元気な若者も、疲れたサラリーマンも、何でもかんでも一緒くたにまとめ、そして化学薬品を使わないと言う事と便利な機能が付きましたと言う事がごっちゃになって、さぁ「これが健康住宅ですよ、体を動かす場面を最低限に抑えました。座ったままで何でも済みます」と言わんばかりの内装に抵抗を感じるのだ。
もう少し需要を絞り込み「この仕様なら、毎日気にせずカロリーを消費出来るから、週末に運動しなくても安心」みたいな家…そんなのあればいいのに、と思いながら、冷蔵庫にビールを取りに行く手間さえ面倒臭くて、何でも母ちゃんに言いつけてしまうのだ。